文系麺ヘラエンジニアの戯言

薬漬けになった文系のシステムエンジニアが、サーバー運用に携わるまでの物語

いかにしてサバ缶ちゃんは生まれたか1

サバ缶ちゃんです。

 

ここではサバ缶ちゃんの経歴を

 

長すぎるので

1.学生時代

2. 教員時代

3.上京したての時

4.現在にいたるまで

 

の3パターンに分けてお伝えします。

ちなみにこのセクション、1と2はIT関係ないんで興味ない人はブラウザバックでおねしゃすwwww

 

 

1993年11月愛知県名古屋市にて生まれ育ち

上から3番目ぐらいに頭がいい男子校に入り

当時夢だった学校の教員になるべく国立大学の教育学部に入学。

 

ここまでは順調でした、ええここまでは。

 

4月、友達ができなくて焦る。

5月、誰とも口が聞けなくなる

6月、ついに引きこもる

 

そして授業は気が向いたら、体調がよければいくというスタイルを取っていたため留年の危機を3回ぐらい体験。

 

連絡を取ってる大学の友人、0人

卒業後会った大学の人、0人

 

0人で有名なsyamuさんですらさすがに学生時代は友達いたんじゃないでしょうか。

 

そんな感じで学生生活を送っていたため当然就職もへったくれもなく。

学校の先生が夢だったのですが小籔千豊さんの「夢なんか捨てえ!やりたないことやるのが社会や!」という言葉を聞いて「行って帰るだけの学生生活だったし、夢は捨てるか〜」と無難に地元の小売業会社に内定をもらい。

そこでバイトとして働かしてもらったんですが

 

  • 2年目で店長、しかも毎日12時間労働
  • 店に社長の肖像
  • よーわからん研修の山

 

給料こそもらえるもののどブラックだったんです。(ちなみにその数年後中途で社内SEでならという条件で面接受けてるんですが店舗スタッフで内定もらってるので辞退してます)

 

内定者研修が今でも手が出せないくらいの高級旅館で行われほほうなるほどこれはなんかのトラップかと警戒しながら内定式を終えました。

 

知ってる人は知ってると思うんですが公立の教員採用試験って大学4年の夏に行われて、受かった人は教諭(正社員)。落ちた人は教育委員会から声がかかり常勤講師(フルタイム)。もしくは非常勤講師(パートと一緒)になるという運びです。

 

時すでに遅しだったんですよね!!!

 

いやあもうこれは普通に入社してあかんかったら教採の勉強してなろーかなー。でもこんな社長崇拝するブラック企業だったらなーと悩みました。ここである考えにたどり着いたのです。

 

「同じブラックなら、夢追ってからでもよくない??」

 

で、僕は早速店長に相談しました。

店長はバリ怖い人で要領悪いとよく怒鳴られました。

ていうか、会社の人事を通してバイトさせてもらってるのでさすがにぶっ殺されるんじゃねーかと思ってました。

その返答は意外なものでした。

 

「人生1度きり、人事には黙っておくからサバ缶の夢を追いかけろ」

 

いやもう涙止まんなかったです。宮川さん、お陰様で俺夢掴めました。ありがとうございました。

 

そして私立高校を4校受けました。

1校は甲子園の常連。2校は通信制高校

1校は地元の全日制のヤバい高校。

 

2校落ちて通信制が1校と地元が1校のこりました。

ぶっちゃけた話、N高ってあるやないですか。

全部携帯で授業してVRで遠足いくとこ。

そこなんですよね。

 

就活生時代ドワンゴを受けて「うちも学校作ろうとしてるんだよね」的な話を聞いていたのでとんとん話が進んでいざ来週最終面接という時にヤバい高校の面接を受けに行ったんですよ。

 

「じゃあ、君、採用。」

 

は???????

うそでしょ?????

いやちょっと待ってくれ別の高校の選考も控えてるから今は答え出せないよ。

なに?今返事にしないと取り消し??

 

しかたなく内定を受託。

ここからがまた歯車が狂ったんです。

 

なんとこれ、4年の2月!卒業の1か月前!

 

無事先生になれたサバ缶ちゃんはどうなったのか??